神田沙也加、親離れしてつかんだ成功までの道 [アーティスト]
神田沙也加を変えた舞台との出会い
2001年、中3の春、彼女はまさに「親の七光り」のもと
SAYAKAの名でデビュー。2002年のCDデビュー曲
『ever since』は20万枚売れますが、プロモーションに
10億円かかったといわれるわりには
あまり大成しませんでした・・・
そこで母は留学を勧めます。
「当時、聖子さんは娘の人生を仕切り直そうと、
卒業後は米バークリー音楽学園に留学させたがっていた。
反抗した沙也加さんはこのまま日本で仕事をしたいと、
自らミュージカルのオーディションを受けに行った」
(芸能関係者 談)
母の操り人形でいることが嫌だった沙也加さん・・・
その生き方を変えた舞台が、宮本亜門さん演出の
『INTO THE WOOD』(’04年)でした。
亜門さんには「あなたはあなたでいいんだ」と言われたという
彼女・・・奇しくも『アナと雪の女王』と同じメッセージを、
沙也加さんは10年前に受け取っていたのですね。
この舞台、私も見たのですが、沙也加さんがとてもよかったのを
覚えています。歌唱力はさすがだな~と思いました。
高校を卒業すると一人暮らしを始め、12歳年上の
離婚歴のあるギタリストと交際。心配した母と大ゲンカし、
近隣住民から警察を呼ばれた、という報道もありました。
彼女が出した結論は休養・・・2005年から1年半休んで、
ニューヨークやロンドンで舞台を観て、学んだといいます・・・
「活動休止中に出した結論が、母・松田聖子とは
違う道を歩むということでした。以後、彼女はミュージカルや
舞台を中心に活動していきます」
(芸能ジャーナリスト・二田一比古)
勝手な休養に母は激怒したようです。
「給料を凍結して月20万円の生活費を渡さず、沙也加は
毎日カップ焼きそばで過ごした時期もあった。それでも、
宮本亜門と出会った感激が、舞台の勉強を選ばせた」
(芸能関係者 談)
2006年12月、舞台『紫式部ものがたり』で復帰した沙也加さん。
母が決めた芸名”SAYAKA”ではなく、本名の“神田沙也加”を
名乗ります。主役を演じることは少なくなり、
メディアに出る機会は減りましたが、
彼女は着々と実力を蓄えていたのですね。
娘が自立して母・聖子さんの心境はどんなものなのでしょうか?
歌手「松田聖子」の生みの親・音楽プロデューサーの酒井政利氏が
こう語っています。
「デビューしたころ、沙也加さんは聖子さんに似ていると
言われていましたが、私は(父親)神田正輝さん(63)の
お母さまで女優だった故・旭輝子さんにそっくりだと思います。
沙也加さんには、舞台女優の血が受け継がれているんです。
でも、沙也加さんの大ブレイクに内心、聖子さんは穏やかでは
ないと思います。自分がプロデュースしてのことなら
手放しで喜んでいるでしょうけど、娘が親離れしてつかんだ
成功ですから。聖子さんの性格からすれば
『私も負けられない』というライバル心があると思います」
苦しい思いをして今の地位を手にした沙也加さん・・・
いつかライバルとなった母・聖子さんを超える日も
来るかもしれません。
母とはまた違ったスタンスで並んだとき、この親子は、
親子というより、よきライバルとしてお互いを称えあうのかも
しれないですね。
そんな娘・沙也加さんの活躍に、父・神田正輝さんも
陰ながら喜んでいることでしょう。
※出典:Livedoor Newsより
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2001年、中3の春、彼女はまさに「親の七光り」のもと
SAYAKAの名でデビュー。2002年のCDデビュー曲
『ever since』は20万枚売れますが、プロモーションに
10億円かかったといわれるわりには
あまり大成しませんでした・・・
そこで母は留学を勧めます。
「当時、聖子さんは娘の人生を仕切り直そうと、
卒業後は米バークリー音楽学園に留学させたがっていた。
反抗した沙也加さんはこのまま日本で仕事をしたいと、
自らミュージカルのオーディションを受けに行った」
(芸能関係者 談)
母の操り人形でいることが嫌だった沙也加さん・・・
その生き方を変えた舞台が、宮本亜門さん演出の
『INTO THE WOOD』(’04年)でした。
亜門さんには「あなたはあなたでいいんだ」と言われたという
彼女・・・奇しくも『アナと雪の女王』と同じメッセージを、
沙也加さんは10年前に受け取っていたのですね。
この舞台、私も見たのですが、沙也加さんがとてもよかったのを
覚えています。歌唱力はさすがだな~と思いました。
高校を卒業すると一人暮らしを始め、12歳年上の
離婚歴のあるギタリストと交際。心配した母と大ゲンカし、
近隣住民から警察を呼ばれた、という報道もありました。
彼女が出した結論は休養・・・2005年から1年半休んで、
ニューヨークやロンドンで舞台を観て、学んだといいます・・・
「活動休止中に出した結論が、母・松田聖子とは
違う道を歩むということでした。以後、彼女はミュージカルや
舞台を中心に活動していきます」
(芸能ジャーナリスト・二田一比古)
勝手な休養に母は激怒したようです。
「給料を凍結して月20万円の生活費を渡さず、沙也加は
毎日カップ焼きそばで過ごした時期もあった。それでも、
宮本亜門と出会った感激が、舞台の勉強を選ばせた」
(芸能関係者 談)
2006年12月、舞台『紫式部ものがたり』で復帰した沙也加さん。
母が決めた芸名”SAYAKA”ではなく、本名の“神田沙也加”を
名乗ります。主役を演じることは少なくなり、
メディアに出る機会は減りましたが、
彼女は着々と実力を蓄えていたのですね。
娘が自立して母・聖子さんの心境はどんなものなのでしょうか?
歌手「松田聖子」の生みの親・音楽プロデューサーの酒井政利氏が
こう語っています。
「デビューしたころ、沙也加さんは聖子さんに似ていると
言われていましたが、私は(父親)神田正輝さん(63)の
お母さまで女優だった故・旭輝子さんにそっくりだと思います。
沙也加さんには、舞台女優の血が受け継がれているんです。
でも、沙也加さんの大ブレイクに内心、聖子さんは穏やかでは
ないと思います。自分がプロデュースしてのことなら
手放しで喜んでいるでしょうけど、娘が親離れしてつかんだ
成功ですから。聖子さんの性格からすれば
『私も負けられない』というライバル心があると思います」
苦しい思いをして今の地位を手にした沙也加さん・・・
いつかライバルとなった母・聖子さんを超える日も
来るかもしれません。
母とはまた違ったスタンスで並んだとき、この親子は、
親子というより、よきライバルとしてお互いを称えあうのかも
しれないですね。
そんな娘・沙也加さんの活躍に、父・神田正輝さんも
陰ながら喜んでいることでしょう。
※出典:Livedoor Newsより
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2015-01-29 15:58
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